平成22年度

吉田 義男

氏(野球)

昭和8(1933)年7月26日生
山城高校から立命館大学を経て,昭和28年阪神タイガース(当時・大阪タイガース)入団。遊撃手として17年間不動のレギュラーとしてプレーし,ベストナイン9度,盗塁王に2度,打撃ベストテン入り7度を果たすなど,走攻守の三拍子揃った名選手として一時代を画した。現役時代の背番号「23」は阪神タイガースの永久欠番。
引退後,監督として3期にわたり,阪神タイガースを率い昭和60年には日本一に輝く。平成4年に日本野球殿堂入り。
また,平成元年から平成7年まで野球フランス代表の監督を務めるなど野球の普及に努める。
平成22年度

衣笠 祥雄

氏(野球)

昭和22(1947)年1月18日生
京都市立洛東中学校で野球を始め,平安高校(現・龍谷大学付属平安高校)の強肩捕手4番打者で春夏の甲子園大会で活躍。昭和40年,広島東洋カープ(当時・広島カープ)入団,強打のチームリーダーとして球団初を含む5度のリーグ優勝と3度の日本シリーズ優勝に貢献した。
昭和45年10月19日から連続出場を続け,昭和62年にはメジャーリーグ記録を破り,2215試合連続出場記録(当時)を樹立した。この年,国民栄誉賞,京都市市民栄誉賞を受賞した。平成8年日本野球殿堂入り。その不断の努力と不屈の精神から「鉄人」の愛称で親しまれる。現役時代の背番号「3」は広島東洋カープの永久欠番。
平成22年度

朝原 宣治

氏(陸上)

昭和47(1972)年6月21日生
同志社大学出身,陸上100m競技において,日本記録を3回更新,世界選手権国際大会でも5回準決勝に進出するなど日本陸上短距離界のパイオニアである。オリンピックに4回連続出場し,2008年北京オリンピックにおいてリレー競技で銅メダルを獲得した。
京都市在住で,現役時代から練習している西京極総合運動公園などでスポーツ教室の実施にも精力的に取り組んでいる。
平成23年度

水野 彌一

氏(アメリカンフットボール)

昭和15(1940)年6月13日生
京都市立光徳小学校,松原中学校,西京高校,京都大学大学院出身。
京都大学アメリカンフットボール部選手,コーチを経て監督に就任。関西学生リーグ優勝9回をはじめ,甲子園ボウル(大学選手権)優勝6回,ライスボウル(日本選手権)優勝4回に導く。同部の黄金期を築くとともに,我が国におけるアメリカンフットボール競技の認知度を飛躍的に向上させ,その普及に貢献した。
また,京都市教育委員,教育委員長を歴任するなど,青少年の健全育成,スポーツ振興に寄与するとともに,国内屈指の指導者として,スポーツ界のみならず幅広い分野で助言,指導を行っている。
平成23年度

釜本 邦茂

氏(サッカー)

昭和19(1944)年4月15日生
京都市立太秦小学校,蜂ヶ岡中学校,府立山城高校出身。
昭和38年早稲田大学サッカー部で天皇杯優勝を果たし,同年,日本代表に選出され,東京オリンピック出場。その後,ヤンマーディーゼルサッカー部(現:セレッソ大阪)に所属し,日本リーグ優勝・天皇杯優勝など多くのタイトルを獲得。昭和43年に出場したメキシコオリンピックでは7得点2アシストの全得点に絡む活躍で大会得点王に輝くとともに,日本代表を銅メダルに導いた。
引退後は,プロサッカーチーム監督,参議院議員,日本サッカー協会副会長等を歴任。また,少年サッカーの指導等を通じ後進の育成に励んでいる。
日本代表国際Aマッチ最多得点記録(男子)保持者。平成17年,第1回日本サッカー殿堂入り。
平成24年度

山口 良治

氏(ラグビー)

昭和18(1943)年2月15日生
ラグビーフットボール日本代表として,数々の国際大会に出場し,名フランカー・名キッカーとして活躍。その後,指導者として,当時無名であった京都市立伏見工業高校ラグビー部を,全国大会優勝4回を誇る強豪チームに育て上げる。
その活躍は,映画・ドラマ「スクールウォーズ」のモデルとなった。教え子に大八木淳史氏,平尾誠二氏ら元ラグビー日本代表多数。
平成24年度

奥野 史子

氏(シンクロナイズドスイミング)

昭和47(1972)年4月14日生
京都市立龍池小学校,城巽中学校,同志社大学大学院出身。
4歳のときに京都踏水会で水泳を始め,小学校1年からシンクロを始める。日本を代表するシンクロ選手として活躍し,1992年バルセロナオリンピックソロ・デュエットで銅メダル,1994年世界選手権ソロ・デュエットで銀メダル,団体で銅メダルに輝く。
現役引退後は,スポーツコメンテーター等として多方面で活躍。
平成25年度

藤田 信之

氏(陸上)

昭和15(1940)年10月4日生
京都府立洛北高校出身。
ワコール女子陸上競技部監督として,全日本実業団対抗女子駅伝4連覇を含む5回の優勝を達成するとともに,京都府代表監督として,全国都道府県対抗女子駅伝4連覇を達成。また,女子陸上の中・長距離16種目(400mからフルマラソンまで)で日本記録を樹立させ,真木和選手をバルセロナオリンピック,アトランタオリンピック出場に,野口みずき選手をアテネオリンピック金メダリストに導く。
その後,藤田ランニングアカデミーを設立,フジスポーツプランニング代表,日本実業団陸上競技連合顧問,京都府スポーツ推進審議会委員等,幅広い活躍で陸上競技のみならずスポーツ全般の振興・発展に貢献する。
平成25年度

坂田 好弘

氏(ラグビー)

昭和17(1942)年9月26日生
京都府立洛北高校,同志社大学出身。
府立洛北高校でラグビーを始める。1968年日本代表としてニュージーランド遠征メンバーに参加し,オールブラックス・ジュニアを相手に4トライを挙げて歴史的勝利に貢献。「FLYING WING SAKATA」として,世界にその名をとどろかせる。その後,ニュージーランドのカンタベリー大学へ留学し,カンタベリー州代表選手に選出されるなど,名ウイングとして国内外で活躍。
現役引退後は,大阪体育大学ラグビー部監督に就任し,以後36年間にわたり同大学ラグビー部の指揮を執る。また,2007年フランスワールドカップでは,世界を代表する20人のラグビーレジェンドの一員として開会式に出席。2012年には,1960年代の世界で最も優れたラグビー選手の一人として,日本人ラグビー史上初の「国際ラグビー殿堂」入りするなど,世界に認められた日本人としてラグビーフットボールの更なる発展に尽力する。大阪体育大学名誉教授。
平成26年度

桧山 進次郎

氏(野球)

1969(昭和44)年7月1日生
京都市立西院小学校,平安中学校,平安高校(現:龍谷大学付属平安中・高校)出身。東洋大を経て,1991年ドラフト4位で阪神タイガースに入団。
2001年,球団新記録となる28試合連続安打を達成。また,2001年から2003年の3年間は選手会長としてチームを引っ張り,2003年のリーグ優勝に貢献。同年日本シリーズ優秀選手賞を獲得。近年は「代打の神様」の愛称で親しまれ,通算代打安打158本,通算代打打点111点はともに歴代2位の記録。
現在,野球解説者・スポーツコメンテーターとして活躍する傍ら,年に1度京都市で野球教室を開催する等,野球の普及に努める。
平成26年度

早狩 実紀

氏(陸上)

1972(昭和47)年11月29日生
京都市生まれ。宇治市立槇島中学時代から陸上を始め,京都府立南八幡高校(現:京都八幡高校),同志社大を経て,現在光華女子学園勤務,京都光華アスレティッククラブ所属。世界選手権大会(世界陸上)出場5回,2008年北京オリンピック日本代表。
全国都道府県対抗女子駅伝には選手・コーチ・監督として23回出場,地元京都府チームの優勝に貢献する。
現在海外を拠点にトレーニングを行っている。3000m障害日本記録保持者。
平成26年度

大村 加奈子

氏(バレーボール)

1976(昭和51)年12月15日生
京都市立梅屋小学校,滋野中学校,府立北嵯峨高校出身
小学5年生時にバレーボールを始め,北嵯峨高校では,春高バレーにおいて同高初のベスト4進出(3位)に貢献。1995年にダイエーオレンジアタッカーズ(現:久光製薬スプリングス)に所属し,Ⅴリーグ優勝・黒鷲大会優勝など多くのタイトルを獲得。また,全日本代表として2度のワールドカップ及びオリンピック(アテネ・北京)に出場。2008年にはⅤリーグ出場試合が230試合となり,長期活躍選手として表彰される。
2010年4月から母校である北嵯峨高校に赴任し,保健体育教諭として教鞭を取る傍ら,女子バレーボール部において後進の育成に励んでいる。
平成27年度

佐野 優子

氏(バレーボール)

1979(昭和54)年7月26日生
京都府立北嵯峨高校出身。1998年にユニチカに入団後,国内では東レ,久光製薬,海外ではフランス・RCカンヌ,アゼルバイジャン・イトゥサチ・バクー,トルコ・ガラタサライ,スイス・ヴォレロ・チューリッヒに所属し,ベストリベロ賞,MVPなど数々のタイトルを獲得。2008年北京五輪,2012ロンドン五輪(銅メダル獲得)に出場。
現役引退後は海外チームでプレーした自身の経験を活かし,日本選手の海外移籍の代理人を目指すとともに,バレーボール教室を開催するなど競技普及にも積極的に取り組んでいる。
平成27年度

田本 博子

氏(ソフトボール)

1974(昭和49)年1月3日生
京都市立祥栄小学校,洛南中学校,明徳商業高校(現京都明徳高等学校)出身。卒業後は日立製作所に入社し,日立ソフトウェアソフトボール部で選手として,また2005年からはコーチとして活動する。
選手として2000年シドニー五輪(銀メダル獲得)に,コーチとして2008年北京五輪(金メダル獲得)に出場。
現在は,京都市立中学校において保健体育教諭として教鞭を執る傍ら,ソフトボール部の顧問に就任するほか,全日本U15女子ソフトボールの後進の育成に励んでいる。
平成27年度

作本 信夫雄

氏(バスケットボール)

1948(昭和23)年6月25日生
洛南高校出身。中京大学卒業後,母校のバスケットボール部コーチに就任。1989年から同部監督及び国体京都府少年男子監督を務め,監督就任後25年間でインターハイ,選抜優勝大会,国体において合計10度全国制覇。洛南高校を日本一の強豪校に育てるとともに,同高校から「竹内公輔・譲次兄弟」,「辻直人」,「比江島慎」,等多数の日本を代表する選手を輩出した。                                                                        「京都ハンナリーズ」の支援にも尽力するほか,京都バスケットボール協会の強化部長,副理事長・副会長を務め,京都のバスケットボール界の普及と発展に貢献した。
平成28年度

太田 雄貴

氏(フェンシング)

1985(昭和60)年11月25日生
平安中学・平安高校(現:龍谷大学附属平安中・高校),同志社大学出身。小学3年生からフェンシングを始め,小・中学と共に全国大会を連覇。平安高校時代には史上初のインターハイ3連覇を達成。高校2年生で全日本選手権優勝。2008年北京オリンピックにて個人銀メダル獲得,2012年ロンドンオリンピックにて団体銀メダル獲得。2015年フェンシング世界選手権では日本史上初となる個人優勝を果たすなど,数多くの世界大会で優秀な成績を残す。4大会連続となる2016年リオデジャネイロオリンピックにも出場。2016年現役を引退。
平成28年度

寒川 進

氏(障がい者陸上)

1968(昭和43)年9月26日生
京都市西京区在住。20歳の時にバイク事故で背骨を脱臼骨折,脊髄損傷により足の神経が麻痺し車いす生活に。入院中に車椅子バスケットに出会い,その後全国車いす駅伝に参加。2004年アテネパラリンピックでは1,600mリレーで銅メダルを獲得。
全国車いす駅伝競走大会には京都Aチームとして長年にわたり出場。2009年・2010年にはエースとして2年連続の優勝を果たす。また,京都マラソン車いす競技にも第1回大会から出場しており,第3回・5回大会で優勝。現在も第一線で活躍を続けている。
平成28年度

野口 みずき

氏(陸上)

1978(昭和53)年7月3日生 
高校卒業後,ワコールに入社。以降16年間を京都で過ごし,京都を「第二の古里」と呼ぶ。京都では桂川沿いや西京極陸上競技場,京都三条会商店街で走り込みを行い,京都三条会商店街は「金メダルロード」と呼ばれている。
平成25年度京都スポーツの殿堂入りの藤田信之氏の指導を受け,2004年アテネオリンピック女子マラソンで金メダルを獲得。また2005年ベルリンマラソンで優勝し,女子マラソンアジア記録及び日本記録を樹立。(アジア記録・日本記録ともいまだ破られていない。)2016年現役を引退。
平成29年度

伊達 公子

氏(テニス)

1970(昭和45)年9月28日生
京都市上京区出身。
京都市北区にあるテニスクラブ「セブンスリー」で テニスに初めて触れ,その後山科区のテニスクラブ「四ノ宮テニスクラブ」で練習を積む。
高校卒業後の1989年にプロ転向し,世界4大大会をはじめ,多くの国際大会で素晴らしい成績を残す。
1996年にいったん引退するものの,2008年に若い選手へ刺激を与えるため現役復帰。
現役復帰後も世界の舞台で活躍し,2017年現役引退。
エステティックTBC所属
平成29年度

柱谷 哲二

氏(サッカー)

1964(昭和39)年7月15日生
京都市右京区出身,花園小学校,双ヶ丘中学校,京都商業高校(現京都学園高校)卒業。
Jリーグ創成期にヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)のディフェンダーとしてチームの要となる活躍をした。Jリーグベストイレブンを3回受賞。
日本代表でもキャプテンを長く務め,72試合に出場。1993年には,アメリカワールドカップ出場を目前に逃すこととなった「ドーハの悲劇」をキャプテンとして経験。
現役引退後は,サッカー解説者などとしても活躍する。
平成29年度

平尾 誠二

氏(ラグビー)

1963(昭和38)年1月21日
京都市南区出身。
陶化中学校でラグビーをはじめ,平成24年度に京都スポーツの殿堂入りされた山口良治氏の誘いで伏見工業高校に入学し指導を受ける。その後,同志社大学で大学選手権3連覇,神戸製鋼で日本選手権7連覇の原動力として活躍する。
卓越したプレーと端正な顔立ちから「ミスター・ラグビー」と呼ばれ,日本代表としてワールドカップに3度出場。
引退後は最年少で日本代表監督に就任したほか,神戸製鋼の監督などを務めた。